「ミケランジェロ」について紹介したいと思います
これまで、イタリア偉人伝では
ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチと紹介して来ました
その二人と並んで
ルネサンス三大巨匠と呼ばれているのが
本名は
Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni
(ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーゴ・ブオナローティ・シモーニ)
ってめちゃくちゃ長い名前です(笑)
普段、呼ばれる時は
ミケランジェロ・ブオナローティって呼ぶのが一般的みたいですね
ミケランジェロは、1475年の3月6日に
中部イタリアのアレッツオ近郊の村
カプレーゼという村に生まれたそうです
今回のミケランジェロが凄いのは
これまで、レオナルド・ダ・ヴィンチ等は
出身の村の名前(ヴィンチ村)を付けてましたが
ミケランジェロはその逆で
村の名前はもともと「カプレーゼ」だけだったのに
ミケランジェロの出身地という事で
1913年に「カプレーゼ・ミケランジェロ村」に改名したそうですよ(笑)
そんなミケランジェロは
カプレーゼ村で生まれたんですが
生まれて数ヶ月後にはフィレンツェに引っ越したそうです
お父さんは
フィレンツェで学問を勉強させようとしていたそうなんですが
ミケランジェロ本人は
教会などに通って装飾家や画家と話をするのを好んだそうです
13歳になると
ドメニコ・ギルランダイオという画家に弟子入りします
すると、1年後の14歳で
ドメニコさんは一人前の画家として認めたそうです
さらに、当時のフィレンツェの有力者のメディチ家から
優秀な弟子を二人寄こしてくれって言われると
もちろん、その二人の中にミケランジェロが入ったそうです
しかし、1494年になると
フィレンツェで内政が悪化して
絵を描くどころではなくなってしまい
ミケランジェロはヴェネチアやボローニャ等を転々とします
転々としながらも作品を作り続けていて
その作品の素晴らしさが
なんと!
ローマのバチカン市国にも届く事になり
1496年になると
ミケランジェロはローマへ行く事になります
その後は、ローマを拠点として活動を続け
バチカン市国のピエタ像や最後の審判などの作品を作ったそうです
ミケランジェロは、
バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂の設計改築も任されていたんですが
その改築が終わる前に
1564年2月18日に亡くなってしまいます
遺体は、ミケランジェロの遺言通り
生前、愛したフィレンツェの街に埋葬される事になり
現在は、フィレンツェのサンタクローチェ教会に眠っているそうです
そんなミケランジェロの作品ですが
やっぱり、ローマとフィレンツェに多く置いてあるみたいです
最後に、それらの作品を少し紹介しますね
こちらが
ヴァチカン市国のシスティーナ礼拝堂の
「最後の審判」です
多くの人物が描かれていますが
400名以上の人物が描かれているらしいですよ
続いては
こちらもサン・ピエトロ大聖堂に置いてある
「ピエタ像」です
この像は、材料の大理石を
ミケランジェロ自身がわざわざ石切場に行って
手に入れたそうですよ
ミケランジェロ作ったピエタ像は
全部で4体あるそうなんですが
このピエタ像が最高傑作とされています
最後は「ダビデ像」です
現在は、フィレンツェのアカデミア美術館に置いてあります
この像は、当時のフィレンツェの中心部であった
ヴェッキオ宮殿の前に置かれていたそうです
実は、ダビデ像を作る時に誰に製作を頼むのか?
数人の芸術家の名前が挙がったそうです
なんと、その中にはダ・ヴィンチの名前もあったそうですが
若いミケランジェロが選ばれたそうです
現在のヴェッキオ宮殿の前にもダビデ像がありますが
こちらは、レプリカなので
本来のダビデ像を見たい方はちゃんと美術館に行ってくださいね
自分は本物を見に行きましたが
やっぱり、レプリカとは迫力が違っていて
多分、大きさは同じだと思うんですが
本物の方が大きく感じました
他のフィレンツェの見所から少し離れているので
1日だけの観光とかだとなかなか行きにくいんですけどね(笑)
以上
イタリア偉人伝「ミケランジェロ」でした
ミケランジェロと言えばダビデ像、
返信削除ダビデ像と言えばミケランジェロというくらい
私のイメージにはこのダビデ像が強く焼き付いています。
ラテン系の名前って、当人に新しくつけられた名前のあとに
お父さんの苗字、お母さんの苗字と、長い名前になるそうですね。
韓国なんかは3文字ですよ(笑)
例えばBoAなんかは、ボとアだけの名前です。
最初はどうしてBとAだけが大文字なんだろうと不思議でしたが
韓国語を勉強していてわかりました。
苗字は知りませんが1文字なのは確かです。
素晴らしい芸術をたくさん紹介して下さり
ありがとうございます。
また目の保養になりました(*^。^*)
小町さん
削除そうですね~
ミケランジェロはダビデ像のイメージが強いですもんね
本人も絵画より彫刻の方が自分に合っていると言っていたそうですよ
ぜひ、機会があれば実際にイタリアに見に行って欲しいです(笑)