2016/10/10

イタリア偉人伝(ジュゼッペ・ヴェルディ その2)

今日は、昨日のイタリア偉人伝
「ジュゼッペ・ヴェルディ」の続きです

詳しくは、昨日の記事を読んで貰うと良いんですが
簡単に昨日の記事をまとめると

子供の頃から、音楽の才能に溢れ
「オベルト」というオペラを大成功させ
音楽界で一目置かれる存在になりますが
私生活では、若くして妻と二人の子供を失います

しかし、そんな状況にも負けずに
「ナブッコ」というオペラを大成功させます
と、こんな感じで昨日は終わってました

では、今日はその続きからです

「ナブッコ」を大成功させたヴェルディの元には
作曲の依頼が次から次へと舞い込んで
ヴェルディは休む暇も無く作曲に励みます

しかし、ヴェルディが33歳の頃に
リウマチにかかったり
連作の疲れが出てきて
医者から休養を取る様に言われて
しばらく休む事にしました

数ヶ月休んだあとは
これまた大成功を収めた
「マクベス」の作曲をして
続いて、イギリス公演の「群盗」の製作に取り掛かります

「群盗」は
ヴィクトリア女王も公演を観に来たり
ロンドンでもヴェルディの名前は広がりました

このロンドン公演ですが
ヴェルディの運命を変える再会がありました

オペラ女優のジュゼッピーナとの再会です
ジュゼッピーナは
ヴェルディの処女作の「オベルト」を演じた女優です

引退してロンドンに移り住んでいたそうですが
このロンドン公演でヴェルディと再会して
二人はその後頻繁に会う様になり
ヴェルディが45歳
ジュゼッピーナが43歳の時に結婚する事になります

ただ、その結婚までの間に
祖国のイタリアでは統一運動が起こります

統一運動の主役の
サルデーニャ王国のヴィットリオ・エマヌエーレを讃えて
イタリア国民の間で

「Viva Vittorio Emanuele Re D'Italia」
(イタリアの王、ヴィットリオ・エマヌエーレ万歳)
という言葉が流行ります

ただ、反対派も多い中
ハッキリと国王を応援する事が出来なかった為に
上の言葉の頭文字を取って
Viva VERDI」(ヴィヴァ・ヴェルディ)
って言葉が流行ります

これに関して
本人は全然関係なく
勝手に統一運動のマスコットにされたヴェルディは
聴衆は自分に正当な評価をしていないとして
「もう、オペラは書かない」
と言って
当時、購入していた自分の農場に引っ込んだそうです

しばらくは、
新婚旅行や農場経営をしていたヴェルディですが
正式にイタリアが統一されると
今度は国会議員に立候補します

ただ、この立候補は
統一されたイタリア王国の初代首相
カミッロ・カヴールに説得されて
嫌々ながら引き受けたそうですが
世間の流れとしては
ヴェルディは統一運動の主役だったので
もちろん、当選して国会議員になります

しかし、
イタリア王国は1861年の3月に建国して
初代首相にカヴールが任命されますが
カヴールはその年の6月に亡くなってしまいます

もともと、カヴールに説得されて立候補したヴェルディです
カヴールが亡くなると
政治への関心も薄れて
4年間の任期中に目立った政治活動はなかったそうです

1867年に
パリの万博博覧会からオペラの依頼がありました
音楽界から引退していたヴェルディですが
ドイツの若い作曲家(ワーグナー)から刺激を受けて
オペラの依頼を引き受けました

「ドン・カルロ」というオペラだったんですが
万博博覧会という事で
観客の最終列車までにオペラが終わらないといけないので
内容をかなり省いて短縮したそうです

すると、
観客からは酷評を受けてしまい
公演は失敗に終わったそうです

その後
パリのオペラ座からの依頼は断ったそうですが
イタリア国内の依頼は受けていて
「アイーダ」というオペラを作り
イタリア国内で公演すると
大成功を収めたそうです

ちなみに、
パリ万博で散々だった「ドン・カルロ」ですが
アイーダの公演と同じ時期に
イタリア国内で改訂版として公演すると
こちらも喝采を浴びたそうですよ(笑)

それからは
多くのオペラを作曲したり
持っていた農園の経営に精を出したりと
順風満帆な人生を送ったそうです

ヴェルディが80歳になると
他の音楽家の為に尽くす事を決めて
音楽界から正式に引退したそうです

あと、
ミラノにある音楽院が
「ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院」に
校名を変更しようとしますが
ヴェルディが反対して出来なかったそうです

ただ、ヴェルディが亡くなった後に
ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院に名前を変えたそうです(笑)

ヴェルディが亡くなったのは
1901年の1月27日
脳血管障害が原因で亡くなったそうです

ヴェルディの墓は
彼が他の音楽家の為に建てた
憩いの家にあるそうです

ヴェルディは遺書を残していて
簡素な葬儀を望んでいたそうですが
彼の功績をたたえて
豪華な国葬が行われたそうです

最後に
昨日紹介した
ヴェルディ作曲のオペラ「ナブッコ」ですが
その中に「行け、我が想いよ」という歌があります

歌の内容が統一運動の時のイタリアに似ている事と
統一運動の中で「Viva VERDI」と言われていた為に
イタリア国内では第二の国歌とも言われる
イタリア国民にはなくてはならない歌だそうです



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6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ヴェルディはオペラなので
私もアイーダ 椿姫くらいしか
思いつかないわ

オペラも生で見た事ないしσ(^_^;)
勉強になったわ。ありがとう
よく調べたわね. R

小町 さんのコメント...

波乱万丈の人生ではありましたが、音楽に人生を捧げ尽くして
幸せな人生だったのではないでしょうか?

政治の情勢が芸術家にもいろいろと影響を与えたようですね。
私も今読んでいる昔の漫画が、日露戦争、ロシア革命、第一次世界大戦を背景にした作品で
漫画とはいえ、見事なストーリー展開で、今夢中になって読んでいます。

イタリアの第二の国歌とまで呼ばれるなんて、素晴らしい功績でしたね。

心姫 さんのコメント...

音楽で成功はしていますが、
何とも波乱万丈で、不幸な感じがしますね。
特に、自分の子供に先立たれるなんて・・・。
そういうのを乗り越えて、良い音楽が作れたんでしょうかね~。

Gabriel. さんのコメント...

Rさん
書いた事はほとんどWikipediaから調べましたが
短くまとめるのが大変でした(笑)
それでも、2日に分けてしまいましたけど……
自分もオペラは見た事無いので
一度は見てみたいですね
もちろん、本場ミラノのスカラ座で(笑)

Gabriel. さんのコメント...

小町さん
私生活では波乱万丈ですが
音楽界ではトップと言っても良いくらいの地位になって
ある意味幸せな人生ですよね

ほんと、芸術って時々政治に利用されたりしますからね
純粋に音楽を愛したヴェルディだから
途中途中で音楽界から距離を置いたりしたんでしょうね

Gabriel. さんのコメント...

心姫さん
音楽界では大成功ですが
私生活は散々な人生ですからね
確かに、その人生が音楽にも良い影響を与えているんでしょうね