2015/09/20

ナポレオンとエルバ島

さて、今日の記事ですが
昨日、チラッと紹介したナポレオンについてです

ナポレオンと言えば、
皆さんご存知ですが、フランスの英雄ですよね

ただ、今回Wikipediaで調べてみると
意外な事が書いてありました

フランスの英雄って言われるので
生まれも育ちもチャキチャキのフランス人と思っていましたが
なんか、そんな事は無いみたいです

もちろん、ナポレオンはフランス生まれの
正真正銘のフランス人なんですが
ご先祖はイタリアの貴族だったらしくて
実は、本名というかキリスト教の洗礼名は
ナブリオーネ・ブォナパルテ」
ってイタリア語読みの名前だったみたいです

それを
25歳の頃にフランスの若い英雄として活躍し出した頃から
フランス語の「ナポレオン・ボナパルト」って
フランス語読みに変えたらしいです

しかし、これまで生粋のフランス人だと思っていたので
気にしませんでしたが
祖国というか、先祖代々の土地まで
戦争で奪うなんて、
ナポレオンってなんか嫌な奴ですよね(笑)

ただ、ナポレオンは島を追われたって記述もあるので
この辺りも少し関係しているのかもしれません

さて、ナポレオンの伝記を書いていると
簡単には記事が終わらないの
話を省いて、エルバ島に追放された経緯を紹介しますね



こちらの赤いマークがあるのがエルバ島です

ちなみに、その隣にある大きめの島が
ナポレオンの生まれ故郷のコルシカ島です

で、その下はサルデーニャ島です

どうして、ナポレオンがこんな所に追放されたかというと
ナポレオンはエジプトまで攻め入ったりして
フランス市民の支持を受けていて
皇帝の座を手に入れていました

ナポレオンは、皇帝になっても侵略を進めて
今度はロシアに攻め入りました

しかし、ロシア侵略は失敗に終わり
フランスに逃げ帰って来たんですが
フランスでは将軍による反乱に遭い
皇帝の座を下ろされて
エルバ島の領主として
この小さな島に飛ばされてしまいます

ただし、ナポレオンはここで終わる男ではなく(笑)
1年後にはエルバ島を脱出して
フランスに戻ります

そして、また政権を取り戻すんですが
今度はワーテルローの戦いで
イギリスの連合軍に敗れてしまい
また、地位を失ってしまいました

エルバ島から戻り
復権して、ワーテルローで敗れるまでの期間は
かなり短くて
百日天下って呼ばれています
(実際には95日間だったそうです)

イギリス軍に投降したナポレオンは
その後、セントヘレナ島に島流しされてしまい
そのセントヘレナ島で生涯を終えます

セントヘレナ島はここにある島です



さすがのナポレオンも
ここから戻る事は出来なかったんでしょうね

以上
ナポレオンの生涯でしたが
イタリアと関係がありそうな部分だけを紹介したので
興味が湧いた方は調べてみてくださいね

2 件のコメント:

まゆみさん さんのコメント...

ナポレオンってもともとはイタリアの貴族だったんですね?
それがご先祖様のイタリアを攻撃ですか~!

なんだか大綱秀吉を思い出してしまいました。
私の父が秀吉をとても嫌ってました。
理由は、検地刀狩りです。
自分は農民の出だったのに、農民を搾取するという行動に出たことを、
すっごく嫌っていたんです。

ナポレオンとちょっと似通っているな~って思いました。

それにしてもナポレオンって、やられてもやられっぱなしじゃないところが
私は気に入りましたね。
転んでもただは起きぬ精神は私と合いますね。

思わぬところでイタリアと共通点があったんですね。

イタリア語講座、10月から新しい放送です。
今までずっと忙しくて全然勉強できていなかったんですが
ちょうど10月からだと時期的にも落ち着いていそうでまた頑張れるかもです^^

Gabriel. さんのコメント...

まゆみさん
ナポレオンの父親の代にコルシカ島に移り住んだみたいです
実際のナポレオンの考えは分かりませんが
故郷を自分の領土にしたかったって考えもあったのかもしれませんね
まぁ、だからといって攻撃して占領するのはいかがなものか?って気がしますが・・

しかし、ナポレオンとイタリアの関係が
占領されたって以外にもあった事に驚きですよね