2015/03/10

カテリーナ・ド・メディチ

今回は、このブログでも最近紹介する事が多かった
「カテリーナ・ド・メディチ」さんについて
書いて行きたいと思います

このブログではここ一ヶ月くらいで
二回ほど紹介しましたが
イタリアからフランスに嫁いだ方ですが
その際に、シュークリームの原型や
マカロンの原型のお菓子を持ち込んだ方で
さらに、それまでフランスでは手づかみの食事だったのに
フォークやナイフ等の食器類も持ち込んだ素晴らしい方です

アンリ二世に嫁いで
フランス王妃になった方なので
よっぽど過保護に育てられたんだろうなぁ〜
って気がしますが
実際は、波乱万丈の人生だったみたいです

カテリーナさんが生まれたのは
イタリアのフィレンツェで大富豪だったメディチ家です

当時は、イタリアで一番というか
ヨーロッパでも一番の大富豪でした
あの、レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンとしても有名です

そんな家庭に生まれたカテリーナさんですが
カテリーナさんが生まれてすぐに母親が亡くなります

その後、すぐに父親も亡くなり
親戚に引き取られる形になります

当時は、メディチ家の親類がローマ法皇になるなどして
メディチ家はフィレンツェの政治を任せられていました
しかし、メディチ家のやり方が気に入らない市民達によって
フィレンツェのメディチ家は没落して行きます

その時に、カテリーナさんは
民衆から馬事雑言を浴びせられたそうです

そして、完全にフィレンツェのメディチ家が没落すると
当時のローマ法皇のクレメンス7世(ジュリオ・デ・メディチ)は
ローマにカテリーナさんを呼び寄せます

そして、結婚相手を探してあげるんですが
当時カテリーナさんは、従兄弟と恋仲になっていました
しかし、それを快く思わない法皇が無理矢理結婚相手を探したみたいです

で、その時にフランス王室のフランソワ1世から
息子の嫁に来て欲しいって求婚を受けて
それを受ける形でフランスに嫁ぎます

この時に、イタリアからフランスへ
色んな物を持ち込みました

最初に書いた様に
食事の作法や道具
さらに、イタリアの装飾品の数々など
カテリーナさんのおかげでフランス文化が花開いた
と言っても過言では無いと思います

しかし、この幸せそうな結婚も
実は政略結婚で
フランス王室はカテリーナさんを王室に入れる気は無かったみたいです

結婚したアンリ二世ですが
次男なので当時は、長男が王室を継ぐ予定でした

なので、カテリーナさんがフランスに嫁いだ理由は
フィレンツェでは没落したとはいえ
メディチ家は大富豪には変わりなく
親類がローマ法皇という
政治的にみて魅力的な女性だったのです

しかし、アンリ二世のお兄さんが病死してしまい
フランス王室は、
カテリーナさんの旦那であるアンリ二世が継ぐことになります

アンリ二世が国王になるんですが
アンリ二世もしばらくすると
事故で亡くなってしまい
その後は、息子のフランソワ二世が継ぎますが
まだまだ若かったので
政治の事はカテリーナさんが請け負ったとされています

しかし、フランソワ二世も16歳という若さで
病死してしまいます

その後も色々と波乱万丈な人生なんですが
いい加減に長くなって来て
書き切れない部分も多いので
この辺りで終わりにしたいと思います

ちなみにカテリーナさんは69歳で亡くなられています

もっと詳しく知りたい方は
Wikipediaを読んでくださいね(笑)


カトリーヌはカテリーナのフランス読みです



2 件のコメント:

  1. まゆみさん2015年3月12日 0:10

    好きでもない人と無理やり結婚させられるのは
    女性にとっては屈辱ですね。

    メディチ家という名前は有名なので聞いたことがありますが
    こういうドラマがあったんですね。

    すごいところに嫁ぐと政権を執らなければならなかったり
    いろいろと大変ですね。

    雅子様が皇太子殿下から求婚を受けたとき、
    当時働いていた職場のおばちゃんたちが、
    「うちやったら断るわ!皇室なんかに娘を嫁がせたら
    苦労させるばっかしや!」
    と、まるで候補にでも挙がっているかのように話していましたよ(笑

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    1. まゆみさん
      ヨーロッパもそうですが、
      日本の戦国時代とかも政略結婚とかあったみたいですからね
      その後、幸せな人生を送れると良いんでしょうが、
      カテリーナさんはその後も波乱万丈ですからね
      王室、皇室とか見た目とか華やかですが
      影では色々あって大変そうですもんね

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